Davut Kember Kember itibaren Chynadiiovo, Zakarpats'ka oblast, Ucraina
Never in a million years could I picture myself reading AND enjoying a self-help business-related book that my Australian co-worker would call "how very typically American." But I did. I read The Go-Giver. And I liked it. It seems I have always had a semi-jaded mindset when it came to business and for-profits; at least, for the duration of my working career so far. How can I not when I've seen my share of businesspeople who only care about what they can get from you and how they'll benefit? Wouldn't you be jaded if it seemed that a majority of people you meet at conferences or meetings were inauthentic? Perhaps it's because I am volunteering for a non-profit (an NGO, to be exact) in another country (Cambodia) and, while I think it may be unique to this organization, the experiences I've had engaging with people passionate about social justice and making the world a better place. It's hard not to be caught up in this torrent of positivity & determination and this focus on something greater than money. All of that said, The Go-Giver is a really nice illustration, while wholly fictional, of what business could be if individuals were truly authentic and focused on real relationships with others. My hope is that these concepts can actually be applied to the for-profit world; that it isn't just in non-profit where people are willing to give and help others. This book was easy to read and easy to process, and I recommend it to people who are ready to change or ready for a change in their own mindset when it comes to business and networking.
フェルナンド・ペソアの詩選集。詩って日本人の書いたものですら、なかなか素直に面白いと思えない。詩という文章形式を理解できるだけのバックグラウンドを持ち合わせていないのだ。それでもまれにそんな障壁を軽々と飛び越えて、何かを伝えてくる詩人がいる。ペソアもまさにその一人。日本ではそれほど有名ではないペソアという詩人にたどり着くまでのルートは、大抵の人がタブッキ経由だと思う。このタブッキというイタリア人の作家は、ペソア研究家という大学教授の顔を持っていて作品にもたびたびペソアという名前を出している。タブッキの流れるように繊細な文章が描き出すリスボンはとても魅力的で、一文一文にいちいちまいってしまう程。そんな文章の書き手であるタブッキが魅了される詩人、どうしたって興味をひかれてしまう。そんなふうにしてペソアを手に取る人が多いのではないだろうか。私にいたっては、タブッキの描き出すあまりに魅力的なリスボンに惹かれて、ついにポルトガル旅行を決めてしまった。それで、この機会にペソアを読むことにしたのだけれど、すっかりペソアに魅了されてしまった。 ペソアの書く詩は、どことなく宮沢賢治の書く詩に似ている。こう書くと誤解をまねくかもしれない。ペソアが書いているのは、常に自分の心であって魂なのだから、宮沢賢治みたいに対象そのものに入れ込んでしまうようなところはない。石はどこまで行っても石であり、森や木や川、自然はどこまで行っても単なる石であり、単なる森、単なる木、単なる川である。華美な修飾語を排したシンプルな語彙の中で驚くほどしっかりと"なにものか"を伝えてくる。私なら百万言を費やしても伝えられそうにない感情を。時にまっすぐに、時には情緒的に。一見、全然違うスタイルの二人の間に似たものを感じてしまうのは、二人が持つ揺れの大きさに重なるところがあるからだろう。宮沢賢治は自然を愛し、動物を擬人化した物語も多く残している。その一方で科学技術にも大いに希望を見出していた。「紺いろした山地の稜をも砕け 銀河をつかって発電所もつくれ」そんな詩を残している。人類の幸福を願いながら、銀河鉄道の夜のようにどこか物悲しい物語を書いてしまう様子からは、生きることへの不安が垣間見える。そういう様々な揺れを飲み込みながら吐き出される宮沢賢治の言葉が私は好きだ。 ペソアは宮沢賢治とは少し違う揺れの見せ方をする。彼は複数の人格を持った異名を使い分けながら詩を書いた。様々な揺らぎを見せる自分の心に別名を付けて、ペソアという共同体を持つ別人を仕立て上げてしまったのだ。自然を愛すアルベルト・カエイロ、機械技師のアルヴァロ・デ・カンポス、神への信仰を謳う異教徒リカルド・レイス。その他にも大勢の異名を作り上げたペソアは、確信的に揺らぎ続ける。 「魂は僕を探し索める しかし僕はあてもなく彷徨う ああ 僕は願う 魂が探しあてることのないことを」 他の異名たちが確信ある言葉を紡ぎつつも、ペソア自身の名前で吐き出される言葉には、どこかアイデンティティの不在を感じさせる。それは周り回って他の異名たちが吐き出す言葉にも影響を与えているように思える。自然も信仰もそれを語る言葉が、自分を探し、作り上げるための言葉に思えてくる。自分という固定概念に縛られず、揺らぎ続けることで新しい可能性と新しい言葉を紡ぎ続けたペソアの詩は、書き手が揺らぎ続けるからこそ、揺らぎ続ける読み手にまっすぐに届いていく。シンプルな言葉をまっすぐに投げかける、ただそれだけで。